5/27 御所ヶ谷神籠石
すでに1週間前のことを記事にするのだが今回は行橋市の「御所ヶ谷神籠石」と「馬が岳城」にレッツ登城することにした。
壇ノ浦より。
建物新しくなってたけど前の方がいいな。
行橋まで高速道路が続いているのだけれども小倉東で降りて空港経由で行橋を目指す。
時間的には少しかかるが割合走りやすい道だ。
結構な山奥で誰もいるような雰囲気はない。
日曜だからというわけでもないのだろうがこういう人里離れたところよりも人の集まりそうな場所を皆は好むのだろう。
外周はざっと3キロほどで土塁と石垣を備えた要塞である、という感じか。
中門からホトギ山という山頂まで行ってそこから尾根沿いに歩いて礎石建物跡、西門からまた中門に戻るというルートを取った。
ちょっと見るくらいなら中門から礎石建物跡と西門あたりをぐるっと回れば十分ではかなかろうか。
この辺りは最近整備されたのか比較的綺麗だし。
他は普通の登山道みたいな感じであった。
上の画像の駐車場に停めて城へ登り始める。
普通はここでパンフレット的なものがあったりするのだが何も入っていなかった。
人が殺到して売り切れたのだろうか?
とりあえず階段を上に力強く歩いていく。
ここからが史跡だ。
最初からあったものとは思えない整備したときにでも作ってみたのだろう。
結構感じは良い。
ちなみに当然ではあるが自販機とかそんなものはどこにもないので飲み物なんかはあらかじめ持ってきていた方がいいだろう。
だんだんと熱中症が心配な季節である。
最近はマダニが猛威を振るっているということだからではないが微妙に厚かったがヤッケを着て帽子被って杖二本突いて安全靴(バイク用兼)で登った。
なるべく肌は出さないほうが良いと思う。
さて中門に到着した。
ここの石垣が一番大きいようだ。
積み方が特殊で下の段が布積みという横の線をそろえて積むやり方でその上は重箱積みという縦の線をそろえて積む積み方である。
布積みの上から重箱積みされた石垣で重しにして安定を図った、らしい。
ざっと中門の造りを落書きで描いてみた。
水路があったりなかったりするが基本的にここの石垣は谷を塞ぐ形で築かれて石垣と土の壁で防壁としていたと思えばよいと思う。
排水は必要。
ここからあまり考えずにホトギ山の山頂を目指した。
ちなみに登っても特に何もない。
眺めがいいかなってくらいである。
途中に第二東門の跡があるがこちらは盛大に崩れてしまっていた。
無数の石が下の方に転がってしまっている。
246mまで登ったらしい。
右側が二の丸、左の方が本丸になる。
ここから来た道を戻ろうかとも思ったが西門の方も行ってみたかったので尾根沿いのルートを行くことにした。
たまに眺めの良いところがあるくらいでトコトコと尾根沿いを歩いて行った。
どこかに第二南門ってのを通り過ぎたみたいだがいつ通り過ぎたのかよくわからなかった。
後になって思うと中世山城だったら尾根のいたるところに堀切があって進みにくそうだけどここは普通の山歩きと変わらないので楽だった。
これ?
夜に幽霊でも出そう。
どんどん山を下っていくと礎石建物跡のとこまで来た。
いったいどんな建物があったのだろうか?
この辺りは結構整備されててきれいである。
看板まできれいになってきた。
西門までもう少しである。
西門を裏側から見たもの。
谷間に石垣を作ってたってのがよくわかる。
あまり大きそうに見えない写真で石垣も崩れているけど崩れてなければ4~5mの規模はあったらしい。
ここから駐車場には少し下の貯水池まで降りてからまた上るか中門まで戻ってから駐車場まで戻るかになるのだけど中門へ戻るルートを選択した。
土塁城壁になってたあたりを歩いていく方がなんか近そうだ。
気が進まないが戻れそうではあるので行ってみることにした。
かろうじて残っている道らしきものをたどって歩いていくとそのうち中門のところまで戻ってきた。
これからバイクのとこまで戻って次の馬が岳城へ行くのだがその前にラーメン屋が近くにあったので行ってみることにした。
まあ目と鼻の先なんだけどね。
馬が岳城は黒田官兵衛が九州に最初に居城とした御城で中津城ができてからはその支城となったところらしい。
つづく。
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by taka_501 | 2018-06-03 23:04 | バイクで旅日記(九州地方)